中3 社会(歴史)「明治の近代化と日清・日露戦争」無料学習プリント(答えつき)
学年・組 名前 点
- 1873年、武力を背景に朝鮮に開国をせまろうとする( )論が退けられ、西郷隆盛や板垣退助らは政府を去った。
- 1874年、板垣退助らが政府に提出した、国民が選んだ議員でつくる議会を早く開くよう求めた意見書を何といいますか。
- 1877年、鹿児島の士族らにおされて西南戦争の中心となった人物を選びなさい。
ア 西郷隆盛 イ 木戸孝允 ウ 板垣退助 エ 大久保利通 - 板垣退助らの建白書をきっかけに、国会の開設や憲法の制定を求める( )が全国に広がった。
- 1880年、各地の自由民権運動の代表が大阪に集まって( )を結成し、国会の開設を求める署名を集めた。
- 政党とその党首の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ア 自由党―大隈重信 イ 立憲改進党―板垣退助 ウ 自由党―板垣退助 エ 立憲改進党―伊藤博文 - 1885年に内閣制度がつくられ、初代の内閣総理大臣に( )が就任した。
- 1889年2月11日、天皇が国民にあたえるという形で( )が発布された。
- 1890年、忠君愛国の道徳を示し、学校教育の柱とされた( )が出された。
- 1871年、( )を全権大使とする使節団が欧米に派遣され、不平等条約の改正の予備交渉を行ったが、成功しなかった。
- 大日本帝国憲法は、天皇が定めて国民にあたえるという形をとった( )憲法である。
- 大日本帝国憲法では、国民は天皇の「( )」とされ、言論・集会などの自由は法律の範囲内で認められた。
- 伊藤博文がヨーロッパにわたって調べ、憲法づくりの手本にしたのは、君主の権力が強いどこの国の憲法ですか。
- 立憲改進党が目標にした、議会を中心に政党が政治を行うしくみは、どこの国の政治でしたか。
- 初期の帝国議会で、自由民権運動の流れをくみ、「民力休養」をとなえて政府の予算の削減を求めた政党の勢力をまとめて何といいますか。
- 西洋風の建物や服装、生活様式を取り入れ、日本が近代化したことを示して改正交渉を進めようとした井上馨の政策を( )政策という。
- 岩倉使節団に同行してアメリカに留学し、帰国後に女子英学塾を開いて女子教育に力をつくした人物はだれですか。
- 岩倉使節団に加わっていなかった人物を選びなさい。
ア 大久保利通 イ 木戸孝允 ウ 伊藤博文 エ 西郷隆盛 - 1895年、政府はほかの国が支配していないことを確かめたうえで、東シナ海にある島々を沖縄県に編入した。この島々を何といいますか。
- 1905年、政府は日本海にある島を島根県に編入した。この島を何といいますか。
答えと解説
- 征韓 欧米視察から帰った大久保利通らは、国内の改革を優先すべきだと反対した。
- 民撰議院設立建白書 一部の藩の出身者が政治を動かす藩閥政府への批判がこめられていた。
- ア 徴兵令でつくられた政府軍に敗れ、士族の反乱は終わった。西郷と大久保はともに薩摩藩の出身である。
- 自由民権運動 はじめは士族が中心だったが、やがて地主や商工業者、農民にも広がった。
- 国会期成同盟 全国から集めた署名をそえて国会の開設を願い出たが、政府は受け取らなかった。
- ウ 自由党(1881年)は板垣退助、立憲改進党(1882年)は大隈重信が党首。伊藤博文は政府の中心人物である。
- 伊藤博文 伊藤は長州藩の出身。ヨーロッパで憲法を調べ、帰国後に内閣制度をつくった。
- 大日本帝国憲法 アジアで初めての本格的な近代憲法。主権は天皇にあると定められた。
- 教育勅語 天皇への忠義や親への孝行などを説いた。学校の式典で読み上げられた。
- 岩倉具視 大久保利通・木戸孝允・伊藤博文らも同行し、欧米の政治や産業を視察して帰国した。
- 欽定 これに対し、国民が定める憲法を民定憲法という。日本国憲法は民定憲法である。
- 臣民 法律によって権利を制限できるしくみだった。
- ドイツ 伊藤はベルリンやウィーンで憲法学者の講義を受けた。
- イギリス 立憲改進党は都市の商工業者や知識人の支持を集めた。
- 民党 政府を支持する勢力は吏党とよばれた。議会では予算をめぐって政府と民党が激しく対立した。
- 欧化 鹿鳴館での舞踏会はその象徴だった。
- 津田梅子 留学したときは6歳だった。女子英学塾は現在の津田塾大学のもとになった。
- エ 西郷隆盛は日本に残り、留守を守る政府の中心となった。
- 尖閣諸島 現在も日本の領土だが、中国などが領有を主張している。
- 竹島 日本固有の領土だが、現在は韓国が不法に占拠している。