中2 社会(歴史)「鎌倉時代」無料学習プリント(答えつき)
学年・組 名前 点
- 平氏をたおすために伊豆で兵をあげ、のちに鎌倉に幕府を開いたのは( )である。
- 源頼朝の弟で、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の戦いで平氏を破ったのは( )である。
- 源頼朝は、三方を山に囲まれ一方が海に面して守りやすい( )に本拠地を置いた。
- 1185年、源頼朝は国ごとに( )を置き、軍事や警察の仕事にあたらせた。
- 1185年、源頼朝は荘園や公領ごとに( )を置き、年貢の取り立てや土地の管理にあたらせた。
- 1192年、源頼朝は朝廷から( )に任命された。
- 将軍と主従関係を結んだ武士を何といいますか。
- 将軍が御家人の領地を保護したり、手がらに応じて新しい領地を与えたりすることを( )という。
- 御家人が将軍のために戦いに参加したり、京都や鎌倉を警備したりすることを何といいますか。
- 鎌倉幕府に置かれた役所のうち、裁判を担当したのは( )である。
- 平氏が滅亡した戦いを、年代の古い順に「一ノ谷→屋島→( )」と並べたとき、空所に入る戦いは何ですか。
- 源頼朝は、自分と対立して逃れたある人物をとらえることを口実に、守護・地頭を置くことを朝廷に認めさせた。この人物はだれですか。
- 源義経をかくまったため、1189年に源頼朝に滅ぼされた東北地方の一族を何といいますか。
- 鎌倉幕府の役所のうち、財政など一般の政務を担当した役所を何といいますか。
- 将軍と御家人の主従関係は、何を仲立ちとして結ばれていましたか。漢字2字で答えなさい。
- 将軍と御家人のように、土地を仲立ちとして主従関係を結ぶしくみを何制度といいますか。
- 次の出来事を年代の古い順に並べたとき、2番目になるのはどれですか。【頼朝が征夷大将軍になる・頼朝が伊豆で兵をあげる・壇ノ浦の戦い】
- 鎌倉時代、京都の朝廷と鎌倉の幕府のように、政治の中心が二つある状態を何支配といいますか。
- 御家人が、命をかけて守る先祖伝来の領地のことを、のちの「一生懸命」のもとになったことばで何といいますか。
- 鎌倉幕府で、国ごとに置かれて御家人を指揮した役職と、荘園・公領ごとに置かれた役職のうち、年貢の取り立てを担当したのはどちらですか。
答えと解説
- 源頼朝 父の源義朝が平治の乱で敗れたあと、少年時代に伊豆に流されていた。1180年に兵をあげた。
- 源義経 戦いで活躍したが、のちに頼朝と対立し、奥州藤原氏のもとに逃れたが攻められて自害した。
- 鎌倉 現在の神奈川県にある。源氏の祖先とゆかりのある土地でもあった。
- 守護 守護は国内の御家人を指揮し、京都や鎌倉の警備に向かわせる役目もあった。
- 地頭 地頭には主に御家人が任命された。のちに荘園領主との間で争いが多くなった。
- 征夷大将軍 もとは東北の蝦夷を討つための役職だったが、以後、武士の政権の長を表す地位となった。
- 御家人 将軍から領地を保護してもらうかわりに、命をかけて将軍のために戦った。
- 御恩 御恩に対して、御家人は奉公でこたえた。土地を仲立ちとした主従関係である。
- 奉公 京都の警備は京都大番役とよばれ、御家人にとって大きな負担でもあった。
- 問注所 領地をめぐる争いなどの訴えを取りあつかった。
- 壇ノ浦の戦い 源氏は西へ西へと平氏を追いつめ、1185年に長門国(山口県)の壇ノ浦で滅ぼした。
- 源義経 頼朝は義経をとらえることを理由に、全国に守護・地頭を置く権利を得た。
- 奥州藤原氏 平泉(岩手県)を本拠に約100年栄えた。中尊寺金色堂を建てたことで知られる。
- 政所 はじめは公文所とよばれた。長官は京都から招いた大江広元がつとめた。
- 土地 将軍は領地を保護・付与し(御恩)、御家人は軍役でこたえた(奉公)。こうした土地を仲立ちにしたしくみを封建制度という。
- 封建制度 鎌倉幕府の成立によって、日本で本格的な封建制度が始まった。
- 壇ノ浦の戦い 1180年挙兵→1185年壇ノ浦の戦い→1192年征夷大将軍の順。
- 二元支配 朝廷は国司を任命し、幕府は守護・地頭を置いた。承久の乱のあと幕府が優位になった。
- 一所懸命 一つの所(領地)に命をかけるという意味。土地が武士にとってどれほど大切だったかを示す。
- 地頭 地頭は荘園や公領の現地で土地の管理と年貢の取り立てにあたった。国ごとに置かれたのは守護。