中1 社会(歴史)「平安時代」無料学習プリント(答えつき)
学年・組 名前 点
- 794年、( )天皇は政治を立て直すため、都を平安京に移した。
- 年表で、794年に都が移された平安京は、現在のどの都道府県にありましたか。
- 平安京に移る前の784年に、一時都が置かれたのは( )である。
- 坂上田村麻呂は、東北地方へ遠征する軍の総指揮官である( )に任命された。
- 東北地方に住み、朝廷の支配に従わなかった人々は( )とよばれた。
- 坂上田村麻呂に降伏した、東北地方の人々の指導者を選びなさい。
ア アテルイ イ 卑弥呼 ウ ワカタケル エ シャクシャイン - 唐で学んだ最澄が開いた仏教の宗派を何といいますか。
- 唐で学び、帰国して真言宗を開いた僧はだれですか。
- 平安時代の初めに最澄や空海が伝えた仏教の特徴として正しいものを選びなさい。
ア 座禅によって自分で悟りを開くことを重んじた イ 国ごとに寺を建てて国を守ろうとした ウ 山奥の寺で修行し、祈とうなどで国や貴族の願いをかなえようとした エ 念仏を唱えれば誰でも救われると説いた - 天皇が幼いときに、天皇にかわって政治を行う役職を( )という。
- 最澄と空海について正しく述べたものを選びなさい。
ア 最澄は天台宗を開き、比叡山に寺を建てた イ 二人とも宋で学んだ ウ 最澄は真言宗を開き、高野山に寺を建てた エ 空海は天台宗を開き、比叡山に寺を建てた - 最澄が比叡山に建てた寺を何といいますか。
- 空海が高野山に建てた寺を何といいますか。
- 年表の794年から804年の間のできごととして正しいものを選びなさい。
ア 坂上田村麻呂が征夷大将軍になる イ 平将門の乱が起こる ウ 藤原道長が摂政になる エ 平治の乱が起こる - 「藤原良房が、皇族以外で初めて摂政になった(866年)」できごとは、年表のどの期間に入りますか。
ア 794年〜804年 イ 804年〜894年 ウ 894年〜935年 エ 939年〜1016年 - 「菅原道真が大宰府に左遷された(901年)」できごとは、年表のどの期間に入りますか。
ア 804年〜894年 イ 894年〜935年 ウ 935年〜939年 エ 939年〜1016年 - 荘園の領主が得た、国に税を納めなくてよい権利を( )の権という。
- 10世紀ごろから、地方の政治を任されて任国に行き、税を取り立てて自分の財産を増やす国司が増えた。こうした国司を何といいますか。
- 摂関政治のころの政治のようすとして正しいものを選びなさい。
ア 天皇がすべての政治を一人で決めた イ 上皇が院庁から命令を出した ウ 藤原氏が朝廷の重要な役職をほぼ独占した エ 武士が朝廷の役職を独占した - 作品と作者の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ア 枕草子―紫式部 イ 古今和歌集―紀貫之 ウ 万葉集―紫式部 エ 源氏物語―清少納言
答えと解説
- 桓武 奈良の大寺院が政治に口を出すことが多くなっていたため、都を移した。
- 京都府 平安京は、明治時代に東京に移るまで、長く天皇の住む都だった。
- 長岡京 造営の責任者が暗殺される事件などがあり、10年ほどで平安京に移された。
- 征夷大将軍 のちに鎌倉幕府を開いた源頼朝も、この職に任じられた。
- 蝦夷 朝廷は東北地方に城を築いて支配を広げようとした。
- ア アテルイは朝廷の軍を何度も破ったが、802年に降伏した。
- 天台宗 比叡山(滋賀県・京都府)に延暦寺を建てた。
- 空海 高野山(和歌山県)に金剛峯寺を建てた。書道の名人としても知られる。
- ウ 都から離れた山で厳しい修行を行い、祈とうを重んじたため、皇族や貴族に信仰された。
- 摂政 聖徳太子も推古天皇の摂政だった。藤原氏では9世紀に藤原良房が初めて就いた。
- ア 最澄は天台宗(比叡山延暦寺)、空海は真言宗(高野山金剛峯寺)。二人とも遣唐使とともに唐にわたった。
- 延暦寺 のちに多くの僧がここで学び、鎌倉時代の新しい仏教の開祖も育った。
- 金剛峯寺 空海は京都の東寺も天皇から与えられ、真言宗の拠点とした。
- ア 797年に任命された。年表から、ほかの3つはいずれも900年代以降のできごとである。
- イ 良房は道長より約150年前の人物。このころから藤原氏が摂政・関白の地位を独占していった。
- イ 遣唐使の停止を提案した7年後のこと。道真は2年後に大宰府で亡くなった。
- 不輸 国司などの役人の立ち入りを拒む権利は不入の権という。
- 受領 「受領は倒るるところに土をつかめ」といわれるほど、欲深い者もいた。
- ウ 藤原氏はほかの有力な貴族を退け、一族で高い地位を占めた。
- イ 源氏物語は紫式部、枕草子は清少納言。万葉集は奈良時代にまとめられた。