中2 社会(歴史)「江戸時代」無料学習プリント(答えつき)
学年・組 名前 点
- 1600年、徳川家康は( )の戦いで石田三成らを破った。
- 1603年、徳川家康は朝廷から( )に任命され、江戸に幕府を開いた。
- 1614年から1615年にかけて、徳川家康が豊臣氏をほろぼした戦いを何といいますか。
- 将軍と、将軍から1万石以上の領地を与えられた( )が、それぞれ土地と人々を支配するしくみを幕藩体制という。
- 関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従うようになった大名を何といいますか。
- 徳川家の一族の大名を何といいますか。
- 江戸幕府が、大名を統制するために定めた法律を何といいますか。
- 3代将軍( )は、大名が1年おきに江戸と領地を往復する参勤交代を制度として定めた。
- 江戸幕府で、ふだんの政治を行った常設の最高職を何といいますか。
- 百姓を5戸ほどで1組にし、年貢の納入や犯罪の防止に連帯責任を負わせた制度を何といいますか。
- 徳川家康の子を祖とする御三家は、尾張・紀伊と( )の三家である。
- 江戸幕府が、天皇や公家の行動を制限し朝廷を統制するために定めた法律を何といいますか。
- 朝廷や西日本の大名を監視するために、京都に置かれた幕府の役職を何といいますか。
- 江戸時代の人口の約85%をしめていた身分は何ですか。
- 村の有力な百姓から選ばれ、村の自治を行った村役人の代表は、関西ではおもに庄屋とよばれた。関東ではおもに何とよばれましたか。
- 将軍に直属する1万石未満の家臣のうち、将軍に直接会うことができた者を何といいますか。
- 武家諸法度では、大名が幕府の許可なく城を修理したり、大名の家どうしが許可なく( )したりすることを禁じた。
- 幕府の直接の領地と、旗本・御家人の領地を合わせると、全国の石高のおよそ何分の何をしめていましたか。
- 参勤交代の制度のもとで、大名の妻や子はどこに住むことを義務づけられましたか。
- 次のできごとを年代の古い順に並べたとき、3番目にくるものを記号で答えなさい。
ア ポルトガル船の来航禁止 イ 島原・天草一揆 ウ スペイン船の来航禁止 エ オランダ商館を出島に移す
答えと解説
- 関ヶ原 「天下分け目の戦い」とよばれる。戦場は現在の岐阜県で、東軍の家康が西軍に勝利した。
- 征夷大将軍 江戸幕府は15代将軍の徳川慶喜まで、約260年続いた。
- 大阪の陣 冬の陣と夏の陣の2度の戦いで、豊臣秀頼と母の淀殿は大阪城で自害した。
- 大名 大名の領地とその支配のしくみを藩という。全国に200〜270ほどの藩があった。
- 外様大名 加賀の前田氏、薩摩の島津氏、長州の毛利氏など、大きな領地をもつ大名が多かった。
- 親藩 親藩のうち、尾張・紀伊・水戸の3家は御三家とよばれ、将軍家にあとつぎがいないときに将軍を出した。
- 武家諸法度 1615年に2代将軍秀忠の名で出された。その後、将軍が代わるたびに内容が改められた。
- 徳川家光 家光は「生まれながらの将軍」と称したといわれ、家光のころに幕府のしくみがほぼ整った。
- 老中 老中は譜代大名から4〜5名が選ばれ、月ごとに交代で政務を担当した。
- 五人組 町人にも同じしくみがつくられた。たがいに監視させることで、支配を行き届かせようとした。
- 水戸 8代将軍吉宗は紀伊家から、15代将軍慶喜は水戸家の出身で一橋家を継いでいた。
- 禁中並公家諸法度 1615年に定められた。天皇の仕事は学問であると定めるなど、朝廷が政治に関わることをおさえた。
- 京都所司代 譜代大名が任命された。大阪には大阪城代が置かれ、西日本の守りにあたった。
- 百姓 百姓が納める年貢が幕府や藩の財政を支えた。武士は約7%、町人は約5%だった。
- 名主 名主(庄屋)・組頭・百姓代をあわせて村方三役(村役人)という。
- 旗本 将軍に直接会うことができない家臣は御家人とよばれた。
- 結婚 大名どうしが結婚によって結びつき、幕府に対抗する勢力になることを防ぐためだった。
- 4分の1 幕府はほかに、江戸・京都・大阪・長崎などの重要な都市や、主要な鉱山も直接支配した。
- 江戸 妻子は事実上の人質だった。江戸には各藩の屋敷が建ち並んだ。
- ア ウ(1624年)→イ(1637年)→ア(1639年)→エ(1641年)の順。一揆の後、ポルトガル船の来航が禁止された。